音楽人の人生研究

【環境を変えると人生が変わる】僕の足が速くなった理由

このままじゃだめだ、人生を変えたい、そう思うことありますよね?

でも気持ちを入れ替え頑張ろうしても大抵うまくいかなくないですか?持って1週間、早ければ翌日にはその思いは消え失せていたり。人間そんなに強くないし、「意思の力」を使えるのは努力による積み重ねができた人だけなんですよね。それまで何もしてないのに思いつきで変えられるほど人生甘くないと思います。

なんだ偉そうにと思われそうですが大丈夫です。僕も十分そっち側の「変われない」素質を持った人間です。でも僕は「変わりたいなぁ」と思ったときにどうすればいいかを経験則から知っています。この記事を読んでいただくことで、ある一人の男が「変われた」出来事を知ることができ、そのことから「人生を変えるためのヒント」を知ることができると思っています。

ここでご紹介する「人生が変わった3つの出来事」は、筆者の人生における事実に基づいたものです。

僕の足が速くなった理由

小学1年生から4年生の1学期まで過ごした小学校で、僕の足の速さは学年で4位か5位くらいでした。速いには速いのですが、どう工夫してみても、がんばってみても、どうしても勝てない友達がいたのです。

しかし、そんな僕がわずか1、2ヶ月の間で走る速度を伸ばし、学校どころか100m走において鹿児島市で2位の成績を収めるまでなったのです。

どうやってそんなことを可能にしたのか。秘密のトレーニング?走るコツ?寝ないで努力?
いいえ違います。僕の意思でそうなったのではなく、外部要因によって化学反応が起こったのです。

その化学反応を引き起こしたのは
「夜逃げ」
です。「夜逃げ」みなさんしたことありますか?ある、という方奇遇ですね。ここで出会ったのも何かの運命。今後とも当ブログをよろしくお願いします。
ご安心いただきたいのですが「夜逃げ」当時僕は結構幸せでした。いろんな出会いがあったし、子どもにしてみれば旅行をしているようなものでした。

さて、ぼりがさめて夜逃げ全国ツアーから再び故郷鹿児島へ戻りました。しかし元の小学校に戻ることはできず、祖父と祖母の住む家から通える小学校に転校しました。そこで友達ができ、かけっこをすることになったのですが、その学校で一番速い、という子に僕は勝っちゃいました。
「あぁこの学校は足の速さのレベルが低いんだな」と思っていたのですが、それは大きな間違い。鹿児島市の陸上記録会に出て、僕も含めた4人で400mリレーで優勝したのです。しかも大会新記録。つまりその学校は足の速い学校であり、僕が元々いた小学校のメンバーは入賞できていませんでした。

ほんとに何もしていません。僕がしたのは「夜逃げ」だけです。このことから

環境の変化が人間に化学反応を起こすことがある

ということが言えると思います。

クビになったヴォーカリスト

今や世界のトップクラスのヴォーカリストであるU2のBONOが、まだデビュー前にギタリストをやっていてクビになりかけ「頼むから辞めさせないでくれよう、俺、歌うからサァ」というふうなことを言って(想定)ヴォーカリストになりスター街道を歩き始めたという話があります。

レベルこそ超大幅に違いますが、僕にもクビにされた経験があります。僕は今でこそちょっとギターを弾きますが、元々は(楽器が弾けないという意味で)生粋のヴォーカリストです。

高校のバンドで重宝され、カナダで組んだバンドでも重宝され、帰国後鹿児島で組んだバンドでもバンドを牽引し、圧倒的に自信(勘違い)に満ち溢れていました。
そんな僕でしたが、にんともかんとも、上京後組んだバンドで、コロッとクビにされました。バンド結成後、何回かリハーサルを行ったのですが、その中ではまだ僕が牽引気分。
あるときメンバーと下北沢のファーストキッチンで待ち合わせて行ってみると、すでに他3人勢揃い。着席後間を置かずベーシストから言われたのが「話し合ったんだけど、タカシくんに辞めてもらうことにしたよ。もう少しオシャレなヴォーカルがいいから」という言葉。「へ?(冗談?違うな)ふ、ふーん、わ、分かった」と言って注文もせずに飛び出したよ路上で涙。まぁ涙は出ていなかったけど、残念この上なかったです。
でも、合う、合わないっていうのは実際あって、ある場所で能力を発揮できる人が、違う場所でも発揮できるとは限らないんですね。
逆にある場所で全く実力も発揮できなかったのに、違う場所でグイグイ実力を発揮できることもあります。

人との出会いが次の出会いを生み、その出会いを大切にしながら、それも広い世界の可能性の一つと認識して進むこと。
つまり、人と出会い続けていけば必ず、自分にとって最適と思えるコミュニティを形成できるタイミングが来る、ということです。
クビにされたヴォーカリストの僕は数年後、かけがえのないメンバーと同じステージで約2,000人を前にパフォーマンスすることになります。

そこにいる人たちが全てではない

これは友情関係に悩んでいる人にも伝えたいことです。

なぜ挫折し続けたDTMができるようになったのか

東京で音楽活動をしていたときは能力の高い人材に囲まれていました。僕は曲を弾き語り等簡単な形で作るだけで良く、その後実際の音源まで仕上げていってくれるのは仲間がやってくれていました。
その当時からもDTM(デスクトップミュージック:パソコン等でアイデアや曲メモを音楽として聴ける状態まで作り込んだり、録音した音を組み合わせて音源を仕上げていく作業)をしてみようということはありました。しかし、してみようという気持ちのきっかけは「なんとなくかっこいいから」というもので、まぁそんなので続くくらいならみんな音楽を仕事にできていますね。というわけで挫折(というか放棄)の連続。「これは自分の役割ではない」と自分に言い訳すること時をまたいで複数回でした。
しかしその後、一旦音楽活動から完全に引退し、結婚し、故郷鹿児島へ帰り、その後、婿として妻の実家のある場所へ移り住んできました。
今もいるその場所で、ちょうどその時あった印税収入を使い新しいアコギを買い、一人での音楽活動を始めました。それから繋がりができ活動の輪は広がっていきましたが、どうしてもDTMをやっていて、かつ僕と一緒に活動をする、という人に出会いません。そんな中、曲のアイデアを形にしたい欲求が強まります。だからといって「ねぇこんな曲できたよ」「おぉ、じゃレコーディングして形にしてみようか」という仲間はいません。
ふと、Macの中にGarage Bandという音楽ソフトを見つけます。恐る恐るそれを開いてみると立ち上がる画面、でも何をやっていいかさっぱり分からず、閉じる画面。
でも「音楽を形にしたい」という欲求は収まらず、そして「やってくれる人は誰もいない」という状況。その中でやれる可能性がある人が一人。それは他の誰でもなく、自分でした。
そのことに気づき、そしてGarage Bandの「一人でも多くの人に音楽を作る可能性を」と言わんばかりの直感的な仕様のおかげで、なんとかかんとか勉強しながら音楽を作り始めることができました。
今でもレベルが高い制作者とは言い切れませんが、これからも勉強していく気持ち、伸びていきたい気持ち、そしてそれによって自分と自分の周りの音楽人の人生を豊かにしたい気持ちでいっぱいです。
そんな現時点の僕でもプロスポーツチームの入場テーマ曲を作ったり、自分の好きな焼酎の曲を作って、それがきっかけで鹿児島への凱旋ライブに招かれたり、と具体的な効果を出すこともできています。

「やってくれる人」がいない環境になったとき、人の中に新しい能力が生まれることがある

という教訓がこの話の中にあると思います。

今回も貴重な時間を使ってお読みいただきありがとうございます。
この後も引き続き大切な時間、よい一日をお過ごしください。

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